まえがき

会社という組織のなかで「心の病」が目立つようになったのはいつごろからで
しょうか。会社の規模にかかわらず、心身の不調を訴える人が後を絶ちません。

厚生労働省によると、2014年度に精神障害を理由に労災請求をしたのは1
456人にのぼります。労災認定された497人のうち、自殺者(未遂も含む)
は過去最高の99人でした。多いか少ないかの判断は難しいところですが、
この数字が氷山の一角であることは間違いありません。

会社を訴える前に自ら職場を去った人、部署異動を願い出た人、病を抱えながら
勤務している人......ストレスが原因でそれまでとは同じように働けなくなった
人は数えきれないほどいます。

仕事と人間関係は切っても切り離せません。それどころか、仕事のほとんどが
人間関係に左右されています。働く人の仕事の悩みの80%は人間関係だと
言ってもいいでしょう。

過酷な労働、際限のない残業、上司から一方的に下される命令、会社から課せ
られた数字的なノルマ、部下や同僚とのあつれき......職場にはストレスの種が
たくさん蒔かれています。むしろ、地雷がたくさん埋まっていると言ったほうが
いいかもしれません。

かつて、日曜日の夕方に憂鬱な気分になる「サザエさん症候群」という言葉が
流行りましたが、事態は深刻さを増しています。会社のなかでの「心の病」は
生死の問題にまでなっているのです。

そんな状況を受け、2014年11月には、「過労死等防止対策推進法」が施行されました。
また、改正労働安全衛生法に基づいて、2015年12月から従業員50人以上の
企業には職場の「ストレスチェック」が義務づけられることになりました。

年1回「ストレスチェック」を行い、ストレスが高いという結果が出て本人か
ら申し出があった場合、企業は従業員に医師と面接を受けさせなければならなく
なりました。

この「ストレスチェック」がどんな効果を生むかは未知数ですが、国がことの
重大さにやっと気づいたようです。

「ストレスの地雷」が埋まっている職場でどのように働けばいいのでしょうか。
企業は、どうすれば宝である人材を守ることができるのでしょうか。
企業で働く人にとって何よりも深刻で、すべての企業の経営者、人事担当者が
真剣に取り組むべき問題です。

国の指導によってすぐに解決するほど、問題は簡単ではありません。
国が企業に義務づけた「ストレスチェック」によって、ストレスの高さを本人
が自覚しても、残念ながら、それだけでは何も解決しません。

私は 歳で単身上京し、レストランの皿洗いから仕事をはじめ、宝飾品や教育
教材のセールスでトップの成績をおさめ、全国に 店舗以上のレストランを経営
する実業家になりました。

しかし、50代のとき、脳出血で倒れて半身麻痺になったことをきっかけに
「心の病」について学びました。

企業によっては、厳しいノルマを設定して、その数字に向かって社員を馬車馬
のごとく働かせるところがあります。特に飲食業では、過酷な労働によって
いくつもの尊い命が失われました。かつて飲食業に従事していた私としては、
残念でなりません。

かつて私が全国にチェーン展開した飲食店でも、店長の過労死問題が起こりました。
このニュースを聞いて、私の創業時の理念などは引き継がれていなかったのかと、
大変つらい思いをしました。しかし、20年以上も前に手放した会社だから、
私にもどうしようもありませんでした。

ただただ、心が痛かった。
私は2014年2月に心の悩みを解決するクリニック『YSこころのクリニック』を、
2015年8月には『YSメンタルヘルス』を開設しました。

これまで企業の人事担当者は「メンタル不調は治らない」という認識を持って
いました。だから、問題が大きくなる前に「問題社員」をひっそり退職させる
ことに力を注ぎました。企業のイメージダウン、訴訟リスク、ほかの従業員の
モチベーション低下を恐れたのです。

しかし、「メンタル不調は治る」というのが私の考え方です。メンタル不調の
未然防止、心の病を改善して会社の戦力にする(メンタル不調者の早期復職支援
→戦力化)ための活動を行っています。

人の心は、目に見えませんが、確かにあります。心という言葉を口にすると、
宗教だとか精神世界だとかスピリチュアルな世界をまず連想するかもしれませんが、
実は私はそれらのことはあまり好きではありません。

本書では、ひとりひとりが持っている心のあり方について、深く掘り下げていきます。

適性を認めたうえで採用した人には、ぜひとも戦力になってほしいというのが
企業の本音です。縁あって入った会社で戦力になり、企業に貢献することが社員
の喜びでもあるはずです。

その企業が発展して大きくなれば、そこで働く人も幸せを感じるでしょう。
会社と社員の関係は本来そうでなければならないと私は思います。

日本人は基本的にすごくまじめです。優秀な人ほど、すべてを自分で背負い
込もうとする。本来パフォーマンスの高い人がミスをしたり浮かない顔をしたり
していたら、要注意。直属の上司やまわりの人が状態に気づいて、声をかけて
休ませてあげてほしいと思います。

まじめで優秀な人がミスをしたら、それを挽回しようと長時間労働など無理な
働き方をして、さらに苦しくなることが多い。人間関係に疲れたり、長時間労働
が続いたりすると、どんな人でもパフォーマンスは落ちてしまいます。

そのうち、「自分はこの会社にいてもいいのだろうか」と感じるようになります。
それまで気にならなかったことが過剰に心配になり、何でもないことを負担に
感じてしまうのです。

そうならないためにはどうすればいいのでしょうか。
自分で自分の心を守るしかありません。その方法について、本書で述べていきます。

会社の人間関係に悩んだら、「仕事って何だろう」と考えたら、心が疲れたと感じたら、
自分が「ダメだ」と思ったら、それぞれの章をじっくり読み込んでく ださい。
仕事の80%は人間関係で決まる。
冒頭で私はそう書きました。

お金は人が運んでくるものでもあります。
働くということと人間関係は切っても切り離せません。

あなたと上司。
あなたと同僚。
あなたと部下や後輩。
あなたと社長。
あなたと取引先。
あなたとお客さま。
あなたとパートナー(配偶者)。
あなたと家族。

仕事のほとんどは多くの人との関わりによって、いい方向にも悪い方向にも転
がっていくのです。

そして、あなたとあなた自身の関係も重要です。
本書では、自分の心との付き合い方についてもたっぷり触れていきます。
もし、会社が嫌になったとしたら、働くことに疑問を感じたら、立ち止まって
この本を開いてください。

あなたの心が軽くなるヒントがここにあるはずです。

2016年3月  佐藤康行